石川県出身
パーシバルオズボーンにより英語教育を受け、13歳で大学南校(現東京大学)に合格
1876年より文部省の国費留学生として、University College London で学びました。
1年目に化学で首席金メダルを得、2年目もさらに首席、奨学金を得ました。そして、アレクサンダーウイリアムソン指導を受け、有機水銀化合物を研究しました。当時、ヨーロッパでは応用科学よりも理論化学が中心で、彼も原子論を支持しました。
1881年帰国し、東京化学会の会長となるもその後分離、工業化学会を設立 また、友人の高峰譲吉と理化学研究所を設立に尽力、初代副所長となります。英国在住時には、ロンドン化学会の会員に推され、生涯会員となりましたが、1901年には、グラスゴー大学より、名誉博士号を授与されました。

実用のみに向かいがちだった時代に、理論化学の重要性を説いたり、分子量測定法、溶液沸騰点の新測案法の考案して、近代日本の化学の礎を築きました。